ねんねんころりよ おころりよ
よいこはねんねこ ここへきな
いとしやあの人 どこへいた
さかこえ追うのは 相のかさ
ふたつ 子守唄
舞い散った蝶は、やがて薄闇に飲まれるように消えていった。
今度こそはぐれることのないように、妹子は太子と手を繋いで歩いている。
「痛い! そんなぎゅって握って、私の白身魚のような手がどうにかなったらどうする気だ! おにぎりだってやさしく握らんと潰れちゃうんだぞ!」
「誰のせいですか。太子こそ、この手汗なんとかしてくださいよ、気持ち悪い。だいたい白身魚ってどんな例えだ」
「竹中さんがムニエルにいいって褒めてくれた‥‥‥気持ち悪くなど、ない! だいたいこれ汗なんかじゃないぞ、これ心の汗だもの」
「どっちにせよ汗だよ!」
飛び交う罵声が太子の証拠だと、わざと相手のひっかかってくれそうな言葉を選んで、話題を途切れさせないように。
蝶が消えて正気に戻った太子は、いつになく素直に妹子の言うことを聞いた。
それは、目の前にある建物のせいかもしれない。
記憶力のちぐはぐさはともかく知識量はある太子にも、この建築がどこのものかはわからなかったようで、訊ねてみても朱いだとか寒いだとかいう言葉しか返ってこなかった。
重苦しさよりは沈黙を選んだような佇まいに、風がなきながら音を作りだしている平城。
近付くにつれ、森は遠く、ただ荒れ野とそれしか見るものが無くなってくる。
「妹子、ひと」
その一点に吸い込まれそうになった時、くい、繋いだ手が引かれた。
朱色から解放され、痛む目でその指先を追えば、建物の一角、廊下の先に、すぅと人影が消える。
「あ、ちょっと!」
駆けだしかけて、一瞬つんのめる。
棒立ちの太子を、忘れていた。
手を握りなおして、足の遅い太子を引っ張りながら、影の消えた場所に走り寄る。
建物の内部は暗く沈み、覗き込んだが、何も見えない。
ぼろぼろの欄干の切れ目から、廊下へ上がる。
「い、妹子? これかなり不法侵入‥‥」
「黙れ腑抜け」
手を引いて、無理矢理太子も引き摺り上げる。
「うぅ‥‥部下が毒々しい‥‥なんでこんな子になっちゃったんだよ‥‥」
「あんたのせいですよ」
二人で手を繋ぎ、本殿より離れた建物内に足を踏み入れた。
「さむい‥‥」
ギシリ、真っ暗な室内と軋む床。
ぽつり、太子が呟いた。
風が遮られたお陰で、体温の奪われる度合いは減っているはず。所々の隙間風はあっても、停滞し、沈殿した空気。
「そうですね、なんだか」
それでもここが寒い──冷たいと感じるのは、建物そのものが冷気を漂わせているような気がするからだろうか。
繋がれていない手にぐっと力をこめて、一歩踏み出す。
徐々に暗闇に慣れていく目で、周りの様子がわかってくる。
外観から予想するよりも、低い天井。
埃を被った床にはいくらかの調度品が転がり、寝台が幾つか。おそらく、使用人達の居室か何かだったのだろう。
「いませんね‥‥」
埃の上についた足跡は、二人分。
背筋が冷たい。
それが何故かは考えないよう努め、早々に出ようと踵を返したところで、太子の顔が目に入った。
「太子?」
暗さを引いても、顔色が悪い。
カタカタ歯を鳴らし、焦点の合わない目がぐるぐる忙しなく動いている。
痛いほどの力を手に感じる。
「っ出ますよ!」
出口に向かおうとしたところで、太子の様子と同じくわかりやすい異常があった。
戸が、開いたままだった戸が、閉まっている。
力任せに引いて押し、蹴りつけても戸が開く様子も、壊れることもない。
「どうなって‥‥‥くそっ」
とにかく、太子を落ち着かせてやらなければ。
口端から涎までたらし、過呼吸に陥っている太子を抱き寄せる。
強く抱きしめられ、このひょろ男のどこにこんな力がと思う。
同じ強さで抱き返して、冷たいほど冷えた体に、何故こんなになるまで、と歯軋りした。
「太子、太子、大丈夫ですから、ゆっくり息をしてください。目は閉じて、寝る時みたいに、わんちゃんでも数えててください。ほら、一匹、二匹、三匹‥‥‥」
はぁ、ふぅ、耳元で少しずつ、息が落ち着いてくる。
カレー臭が髪に移ったかな、なんとなく微妙な気分になりつつ、おかげで心に余裕が出来た。
「大丈夫ですよ。こんなとこさっさと出て、帰りましょう」
きゅう。
先ほどまでとは違う、縋るような強さで腕が妹子の体にまきつく。
よしよし、肩に乗った頭を撫でてやれば、安心したように、太子がぽつり、呟いた。
「かえして」
こわいよこわいよこわいよ、たすけて!
ねえここはどこ?
なんで、こんなとこにいるの?
なんで、ころされるの?
いやだよ、やめて、ころさないで、たすけて
たすけにきて、まってろって、やめて
ああああ、ごめんなさいごめんなさい
おねがいたすけて、たすけて、たすけて くん
ゴキン
「ええ、帰りましょうね」
首の骨、外れる音。
あっけなく妹子の声を上書きしていく。
すごい痛い。
聞いてて凄い痛い。
私がだっこされてる間に、ふらふらその人は行ってしまった。
「とにかく、出口を探しましょう」
手を繋いで歩く、妹子の足取りがちょっとゆっくり。
馬鹿妹子め。
優しいふりしたって、私はなんもしてやれんからな。
お前に、何もしてやれんからな。
痛いよ。
繋いだ手は、冷たく汗をかいている。
(はやく、戻らないと)
あそこに、あの焚き火の場所に、行かなければならない。
部屋の奥から、内廊下へと続く戸をくぐる。
長々と一直線に続く廊下は、ところどころ板が腐り落ちていた。
背後の太子が、覚束無い足取りでキシキシ床板をふんでいる。
「太子、足下危ないですから、注意し」
「ぉばマアッ」
「‥‥‥て欲しかったですよ」
見えた瞬間には足をはまらせていたはずが、何故か頭から八割ほど廊下に突き刺さっている。
「いや、もうなんでとか聞かないけどさ。ほんと人外だなこのオッサン」
慣れたもので、足を掴んでぐっと力を
「おわっ!?」「げぐっ」
いれた瞬間、妹子の足下の床板が砕けた。
落ちた時に思い切り太子を潰してしまったけれど、物理的には妙に頑丈なのでその辺あまり気にしない。
「つつ‥‥下手に太子も掘り出してられないな、これじゃ。ああ、大丈夫ですか太子」
起きあがってから下を見ると、太子がふっそり微笑んでいる。
「え、なに、どうなってるの私」
そしてどうやら、状況の把握が出来ていないらしい。
「こけて、床板につっこんだんですよ。その上に板とか落ちてたので、背中が痛いのはそのせいです」
「あ、そうなんだ。って痛いよ! ああんもう、なんで教えたんだよ! 言われたら痛くなってきただろ!」
「すみませんでした」
結局文句は言われたが、自分が上に落ちたと言うよりはよほどマシだろう。その場合、奇妙なアタックをかましてきかねない。
謝ればすぐに機嫌を直し、起こさせる為に差し出された手をとろうと屈み込む一瞬に。
足が見えた。
太子の手を取る。
取って、引き上げる。
顔を上げても誰もいない。
「行きましょうか」
「? おうとも!」
微笑みかけられ、わけも分からず笑い返した太子の手を、ぎゅっと握った。
廊下は一度折れたところで、一つの扉を用意していた。
「‥‥庫? 倉庫か何か、かな」
扉に書かれた文字は、掠れていていくらも読み取れない。
倉庫にしてはおかしな間取りにあるな、と扉を開けて納得がいった。
書類や資料の山と積まれた部屋は、おそらく資料庫か。こればかりは、外に置くわけにもいかない。
「お、すごいぞ妹子、これこれ。この板、玻璃で出来てる」
コンコン、指で埃を被った何かを叩いていた太子が声を上げた。
その言葉に目をこらせば、埃の下、棚のように作られたそれは、透けて中が見えている。
「な──太子、触らないでください! 壊したらどうするんですか!」
引き剥がした後、何かがぶつかるような音や、紙がバサバサ落ちる音が聞こえたけれど、取り敢えず玻璃の箱は無事なようだ。
「良かった‥‥」
「良くてたまるか! 人を破壊魔か何かのように‥‥‥ん?」
他人の部屋を破壊しまくった人間に、少なくとも触れさせていいものではないだろう。
こんな場所で埃を被っているのは勿体ないけれど、持ち帰るわけにもいかない。なんとなく、近くにあった紙で表面を磨いてみたりする。
汚れから解放され透ける中には、よくわからない、黒い箱のようなものが入っていた。その一部にも玻璃が埋め込まれているようなので、おそらくは大切なものなのだろう。
「なあ、これなんて書いてるんだろ。隋の言葉でもないみたいだし‥‥」
ありがたいような気がするので拝んでみていた妹子の裾が、ちょいちょい引っ張られる。
宝物とは反対に埃まみれになった太子が、一枚の紙を差し出していた。
「私‥‥‥‥暗‥‥‥‥‥‥寒‥‥‥‥? なんなんだこの文字‥‥絵じゃ、ないですよね?」
「わんちゃん描いてないし、絵じゃないと思うけど?」
「犬の絵とは限りませんよ太子じゃあるまいし」
周囲の書類も何枚か捲ってみたが、所々に、読めない字がある。
「漢字もあるって事は、隋と交流のあるところの字か‥‥なんて書いてあるんだろ」
掴まれっぱなしだった裾が、キュ、先より強く引かれる。
「 なんでわたしこんなとこにいるの? 」
「なんでって、」
あんたが山で遭難したからでしょう、言いかけて、気付いた。
顔が映るほどに磨いた玻璃。
そこには、三人映っている。
一番近くが妹子、背後に、太子。
(逃げなければ)
全力で走ろうと、太子の腕を掴んだ。
〈 ひ、ヒヒィィイイン!
なんで私こんなとこにいるの!?
暗いし! 寒いし! 怖いし!
なんで誰もいないのぉっ? 〉
一瞬、気が飛んでいたような気がする。
頭を左右に振って、現実感を取り戻す。
これを書いた人物も、どうやらここに迷い込んでしまったらしい。
「太子、これ書かれたのって、結構最近っぽいですよね。この人、まだここにいるのかも‥‥」
もしかしたら、ここに入った影は、これを書いた人物なのだろうか。
だとしたら、まだ近くにいるはずだ。
メモを仕舞い、そう言えば先ほどから、太子が静かだな、と思った。
ぞっとした。
「太子!?」
棚の向こう、机の影、半開きのドアの向こう───
廊下に飛び出た時、二人の来た方向から、バタン、扉の閉まる音がした。
「あんた、いい加減に、ふらふらどっかにっ」
蹴破る勢いで開けた扉の先、開かなかったはずの戸が閉まる。
そのままの勢いで開こうとした戸は、けれど固く閉ざされたまま、妹子だけに開かない。
「どこ行こうってんだ! 巫山戯るな! 開けろ! 出せ!」
叩こうが蹴ろうが、微動だにしない戸。
それなのに隙間から、蝶を追ってどこかへ行く太子が見えるのだ。
「太子! 聞こえてるんでしょ! 帰ってこい! 行くな!」
フラフラ、ヒラヒラ。
地に足のつかないもの同士、暗闇に消えてしまう。
「太子!」
思いきりぶつかった衝撃そのままに跳ね返され、床に倒れる。
隙間からはもう、誰も見えない。
「二度あることは三度だって‥‥‥? ちくしょう‥‥‥っ」
その三度目に、太子は連れていかれてしまった。
飛鳥時代だもの。
硝子なんて。
ましてや平仮名なんて。
ジャージ着てたり、ギター弾いたり、法隆ぢだったり、アイス食ったりしてるけど、
それはそれ、これはこれ。
単に、カメラ使えるはず無い~の説明をこういう形でしたかっただけです。
今後もどんどん強制イベントでサイコメトるよ!
うん、紅い蝶、ほんとに好きなんですよ?
冒涜したいわけじゃない‥‥‥萌えに駆られてやった。常に反省している。
そしてこれ、章の前編です。後編も‥‥‥書きたいです・・・・。